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虐殺の当事者が主役の「アクト・オブ・キリング」
人間が行った虐殺を描いた映画は数多くある。しかし、その当事者が出演して、自らの虐殺を語るドキュメンタリー映画など聞いたことが無い。「アクト・オブ・キリング」は、そういう映画なのだ。
1960年代のインドネシアで起こった100万人とも、200万人とも言われる大虐殺について人権擁護団体からの依頼で取材を進めていた本作品の監督ジョシュア・オッペンハイマーだが、当局から被害者への接触を禁止される。
そこで取材対象を被害者から加害者に切り替えたところ、驚くことに彼らは嬉々として虐殺の事実を語り、その様子を自ら演じ始めたのだ。
本映画の中心人物、アンワル・コンゴはいわゆるチンピラである。現在は孫もおり、すっかり好々爺となっていて、屈託の無い笑顔からは過去に凄惨な虐殺に関わったことなど想像もできない。
そんな彼を中心とした虐殺の加害者達が良き思い出を語るかのように殺人の実態を語っていく。彼らは断罪されることもなく、裕福に暮らしているのだ。
過去にヒトラー、ポル・ポト、アミンなど独裁者の虐殺を描いた映画は数多くある。「シンドラーのリスト」「キリング・フィールド」「ラストキング・オブ・スコットランド」など挙げればきりがない。
これらは史実を元にしているとはいえ、脚色の加わった映画。しかしアクト・オブ・キリングは、虐殺の加害者達が関わるドキュメンタリーだ。
プロの俳優が事実のごとく演じる映画には本当の惨劇を目の当たりにするような怖さがある。
しかし虐殺の当事者達が殺し方を笑顔で語る様には、またそれとは違う異様な恐ろしさを感じずにはいられない。
取材を通して罪の重さを感じ始めるアンワル
この映画を撮ったジョシュア・オッペンハイマー監督の勇気には恐れ入る。彼の取材対象は何十年も前のこととはいえ、多くの人を殺している。
インドネシアではその加害者側が今でも政権を握っており、取材開始時には被害者側への接触を止めている。その国で映画を作っているのだ。
加害者側へのインタビューを中心とした映画を作るというだけでも相当な勇気だが、監督は容赦なく鋭い質問を投げかける。
例えば罪を問われて国際司法裁判所に呼ばれたらどうするのだとか、今は(虐殺を)再現しているだけだが実際の被害者はもっと怖かったんじゃないかとか、怒りに触れそうなことでもズバズバと聞いていく。
映画の最後に流れるエンド・クレジットには”ANONYMOUS”(匿名)の文字が並ぶ。現政権に映画に協力したことを知られたくない多くの現地スタッフが関わっているのだろう。
この映画はまた監督以外の多くの人達の勇気によって作られたものなのである。
最初は俳優気取りで殺人を語っていたアンワルだが映画の撮影が進むにつれ、徐々に様子が変化していく。罪の重さを感じ始めていくのだ。
彼らが行ったことは非人道的な行為だが、多くの矛盾を抱える現代社会に暮らす我々が彼らのことを一方的に責めることはできるのだろうか。
アクト・オブ・キリングは多くのことを考えさせられる映画である。