第四回東北セミボラでボランティア活動に参加しました

fukushima2013

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「第四回東北セミナー&ボランティア」でのボランティア活動

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2013年、4月5、6日、ウェブ研究会主催の東北セミナー&ボランティア(セミボラ)に参加してきました。セミボラについては、以前に書いたので、そちらをご参照ください。

5日は仙台市でセミナーに参加し、翌6日は福島県南相馬市でボランティア活動を行いました。

福島県は、ご存知の通り、2011年3月11日に発生した地震と津波によって甚大な被害を受けました。

福島の原発は未だ事故の後処理が続いており、完全復旧の目処は立っていません。

震災から二年経った今でも、立ち入りが禁止、または、制限されている地域もあります。

今回は南相馬市でボランティア活動をしましたが、訪れた地域はまだ居住が許可されていませんでした。

避難区域解除準備地域に指定されているのだそうです。

ボランティアの参加者は、仙台市から南相馬市まではバスで移動しました。

目的地に近づいていくと徐々に非日常的な雰囲気になってきました。

街はあるのに人がいません。車もほとんど走っていません。

瓦礫などはかなり片付けられているものの、街に人がいない光景に形容しがたい異常さを感じます。

南相馬市にはボランティアセンターが設置されており、ボランティアはそちらを起点に行われていましたが、慢性的な人手不足でボランティアはいつでも歓迎とのことでした。

震災後、時間が止まったかのような光景

今回は老夫婦のご自宅の片付けを手伝うことになりました。

作業は家主のお二人にご挨拶をして、黙祷を行った後で開始。

立派な木造家屋の正面にある道路を挟んだ向かい側にはすでにその家屋、もしくは近辺から集められたと思われる瓦礫が積まれていました。

大きな家屋の中は泥をかぶったままの状態で、床は腐食して部分的に抜け落ち、ほとんどの家具は使える状態ではありませんでした。

仮に居住が許可されたとしても、正直、人がすぐに生活できる状態ではありません。

30名弱のボランティアメンバーは、家財道具を外に運び出し、使えなくなった家具を壊して分別するという作業を手分けしてひたすら続けました。

大人がこれだけの人数で5〜6時間はみっちりと作業を行ったと思いますが、まだ作業半ばという状態のままで現場を去らなくてはいけませんでした。

最初から明るかったお婆ちゃんに対して、最初は緊張気味で無表情だったお爺さんですが、作業を終えて去るときにはにこやかな表情だったことが印象的でした。

このような本格的なボランティア活動に参加したのは、恥ずかしながら生まれて初めてでした。

阪神淡路大震災のときは二十代前半でしたが、現地でのボランティア活動には参加していませんでした。

どうやって参加したら良いかわからなかったというのは言い訳で、本当は対岸の火事のように考えてしまっていました。

今回の震災においては阪神淡路のときとは違い、少しは復興を意識した活動をしていたものの実際に現地に行って貢献したいという気持ちが強くありました。

震災から二年も経っており、今更手伝えることがあるのかという疑問もありましたが、セミボラがまだ開催されているのだから少しは役に立てることもあるのだろうと考えて参加しました。

実際には、いまだに写真のように波でさらわれた状態のままになっている地域もあり、震災の被害の大きさを痛感しました。

これから自分が出来ること

震災の被害地域から遠く離れた場所に住んでいる人達にとっては、東北の震災もすでに遠い記憶になりかけているかもしれません。

人間は辛いことを時間とともに忘れる性質を持っているので、これ自体は自然なことだと思います。

しかし被災された方達にとっては、忘れたくても忘れられないこともあるでしょう。

私は阪神淡路大震災のときも、そして今回の東日本大震災のときも、幸運にも難を逃れました。

日々不自由なく暮らせていることを当たり前と思わず、恵まれた境遇に感謝しつつ、微力ながら今後も何らかの形で被災地域との関わりを持っていきたいと思います。